一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

孤立と孤独と絶望と

昨日も親に「どうするんだ!どうするんだ!どうするんだ!」とまくし立てられ、かなりやられてずっと寝込んでいた。

本当にあらゆる気力を奪い去られて、誇張抜きに体調が悪くなって何もできなくなる。

で、今ちょっと回復したわけです。

 

主観ですが、ひきこもりが例えばゲームに勤しむのは「楽しんでいる」わけではない。

大部分「逃避」に近いと思う。なにしろ何かをしていないと不安と孤独と絶望で押しつぶされそうになる。思考を一旦止め、何か気を紛らわせることが必要なのだ。当座それでなんとか生きていける。

しかし当然、楽しめない。楽しめていたものが楽しくない。自分はそれすら長続きせず、せいぜいがあても無くパソコンの画面を眺めるか、布団に入って天井を眺めるかくらいである。

 

ここ何年も母と祖母以外の人とまともに会っていない気がするし、基本否定する人ばかりである。そう言われても仕方がない理由があることは自覚しているので、反論はしないようにしているが・・・苦しいね。

 

現在の状況としては

唯一の社会との接点であった発達障害向けの就労支援デイケアはコロナの影響で去年の2月頃から現在まで再開未定の状態が続いている。

 

もう一つ、県が運営する精神福祉センターのひきこもり相談所にメール相談から連絡したのだが1週間以上たっても音沙汰無しの状態。尤もあったところでどうにかなるものでもないでしょう・・・。

 

さらに保健所のひきこもり相談窓口という手もあって、自分が20代の頃良くお世話になったのですが担当の人が定年で退職し、縁が切れたものの、どうにもならなくて2年程前にもう一度訪れるもどこから、何を話していいかわからず「就職問題」を話してしまったのが悪かったのか、凄い気まずい空気になって逃げるように帰ってしまった。

調べてみた限り、通える範囲だとこれが限界だと思う。

 

致し方ない状況とはいえ、困っている、寄る術がないのに、そういう人の受け入れ先であるはずなのに閉ざされている気がするのは気のせいだろうか?

 

親の言うように労働が解決してくれるのだろうか?だけどそう思って何度か働きだしたけどやっぱり苦しくて出来なくて、ひきこもり地獄を強化しただけじゃないか。

おかげですっかり自信を無くし、何もできない気がして根強い抵抗感だけが残ってしまった。

この状況から一体自分一人で何が出来るというのでしょうか・・・。

なんで皆生きていけるんだろうなぁ、背負っていけるんだろうなぁ。

 

自分の意志で働きたい

やはりひきこもりの支援関係で働けないだろうかと思う。親に尻を蹴られてではなく「自分の意志」で、引き受けることを決めたいから。

学生時代よりずっと悩んできた。ひきこもり、人生の生きづらさは最早自分の人生のテーマであると言っても過言ではない。

悩んで苦しんで否定されてバカにされて、どこにも話を聞いてくれる人はいない。

就労支援デイケアは去年の3月からずっと休止、県の支援機関は10日も経つのに返事一つくれない。就労支援ビジネスは世に蔓延っているけど、当然就労問題しか扱わない。世の支援などこんなものである。

無ければ自分が!個人の事をもっと真剣に考える支援を!とそんなところです。言うは易しですがね・・・。

人生ここまで悩んで否定されて、孤独に苦しみって、そういう経験ってなかなかないですよね。ひょっとしたらこれは状況によっては、長所になりうるのではないかとそんな気がするんですよね。

この経験を無駄にはしたくない。忘れてはならない。なんとか活かせないだろうかと。

 

ひきこもりの立場からのひきこもり支援。懸ける価値はあるように思うのですが。

ハローワークに相談に行くべきか迷うが、「知識も経験も資格も無い奴が何をいっているんだ。というか、あんたは支援される側だろう?」とか言われそうで勇気が持てない。

ひきこもり支援で働くのはどうだろうか

県がやっているひきこもり相談所にメールで連絡して5日くらい経ったけど、返事が無いのですが・・・。

それにしても、ひきこもり支援関係で働けないだろうかと今一度思う。腐れ就労支援ではなく、「ひきこもり支援」ね。

前回就労支援でこの話をしたら、うやむやになって終わってしまったが・・・。

自分が正に当事者であるから、そういう人の気持ちが分かる。聞く立場になれる。というのは安直な考えですが、あらゆることが「人よりできない」ということをこれまで痛感した以上、自分が人の役に立てるのは何か?強みは何か?と考えると、ひきこもり資産を活かす。これしかないのではないかと思う。人の気持ちはわからないと思う。といって、全くわからないでもないはずだ。

人の「問題の」相談にのる。なんていうのは恐れ多いことですし、自信も無ければ不安でもあります。でもどうせ何をやってもそう感じるのだから、懸ける価値はあるのではなかいとね。

 

今朝偶然中学の同級生に声を掛けられて焦った・・・。特別親しかった人ではないんだけど、話しかけたくなるような人間なんだろうか?自分は。

立派に・・・なるのはもう無理でしょうが、せめて恥ずかしくない自分でありたいですよね。人に今の自分を見せるのは恥ずかしくてしかたがない。

世の中さしあたり上手くいっている、対処困難な問題が起きていない人が、そうでない人を見下したり、責めたりしますし、自分のみで言えば甘えもあると考えています。

しかし、全ては「さしあたり」いつ、何で人生転落するのかは誰にもわからない。そこから抜け出せる器量と根性がその時にあるのかもわからない。手を差し伸べてくれる人がいるのかもわからない。事情は人それぞれあるんだと思います。

 

 

 

 

 

寒いブログ

なんだかここ最近、ただでさえアクセス数が低かったのにゼロに近くなってきた・・・。尤も元々ゼロに近かったので取るに足りないことではあるけど。

それでも各種解析ツールのおかげで、見てくれる人はいる!本当に極稀にいろんなページを回ってくれる人も!(見てどう思われたのかはわからないけど・・・)と実感し、ようやく最近になって読者目線で記事を書くようにしてみた・・・つもり。

それに伴い、過去の記事を漁って内容の修正をしたりしているのだけど、まあ、文章が寒い寒い・・・。更にふざけたタイトルを付けたせいで、何の記事なのかわからないものも。

当時はこんな辺ぴなブログは誰も見ないだろうと考えていたし、若気の至りもあったように思う。

 

アクセス数が上がらない理由は上げればキリが無いけど、理由の一つにGoogleのインデックスにそもそも登録されていない事実が判明した。全体の半分くらいしか登録されていないのが実情である。

通りで検索ワードが偏る訳ですよ。これに関してはただ祈って登録されるのを待つしかない。

それにGoogle検索からだと、例えば個人のひきこもり系ブログなんてのは本当に見つけづらい。

口に出すのは憚られるアレやコレで検索しても出てくるのは、団体のHPだったりニュースサイトばかりで、個人の身の上話が聞けるような場所はほぼ出ない。

今や検索は必要な情報を得るための辞典のようになってしまっていないかと感じる。

ファンであったり、交流も視野に入れたブログにしたかったら、やはりSNSとの連携は避けては通れないかもしれない。

 

いい加減に書こうが、真剣に書こうがアクセスゼロ!評価ゼロ!コメントゼロ!

泣けてきますね。まあ、そんな感じの人も少なくは無いでしょうし、書くことが自分を保つ側面を持っているのでこれからも性懲りもなく続けていくことでしょう。

脳内の相手と会話

自分の人間関係なんていうのは、何かって言うと否定から入る親しかいない・・・。

会話もこんな状態ですから、将来のこと、就職の話しか出ない。

たまにはそういう問題から抜け出た会話がしたい・・・。もう少し動きやすい言語空間を・・・。そんな切望からか、脳内人物と会話することが増えたような気がする。

今日は何食をべたとか、こういう料理を作ってみたとか、ギターでFコード抑えられるようになったとか、想像上の人々に報告して回るのさ。

ひきこもりを拗らせ過ぎたんだと思う。

 

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