一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

ケースワーカーへ相談

本日行って参りました。当初は「話さなきゃ良かった」と後悔するのではないか?と危惧していましたが、とても感じの良い方でしたので安心しました。

しっかりと耳を傾けて相談に乗ってくれる女性、いや~素敵ですね!

まあ、それはともかく今後通って自分の問題を紐解いていく助けになって頂ければと思います。

と同時に傾聴、勇気づける技術というのは個人的にも関心のあることなので、「学び」という視点でも見ていきたいものです。

 

それにしても親と話しているとつくづく自分が「問題の塊」という感じがしてきて嫌になる。鏡で自分の姿を見ては更に嫌になる。これが自分か・・・と。自信の無さ、人間関係が苦手そうな雰囲気が滲み出ているじゃあないか・・・。

話の流れで弟や友達に説教され、いがみ合いになった話が出ましたが、親曰く「そりゃ説教もしたくなる」と。

これも酷い話ですよね。説教なんていうのは、さしあたり上手くいっている人が、たまたま困難な状況にある人に「不満と嫌悪をぶちまけている」だけじゃないですか。

更に言う人は「自分が正しいと信じ切っている。言われる奴が悪い」という態度を取り、指摘しても認めないから極めて不愉快である。

そこには「相手の事情や環境、考えを想像する」ということが誠に欠けとるのです。

それがあれば、多少なりとも理解が進んだかもしれない。何か方法が見つかったかもしれないのに。

 

人が自信を取り戻し、再び一歩踏み出すには人から認めてもらうしかない。他者が必要なのである。

だから、自分は聴く、伝える、共感する、承認する、勇気づける技術を身につけたい。

仕事にするのは恐れ多いことですし、本で勉強していますが出来るかどうか・・・。

とはいえ修行場所はそこかしこにあり、どこでも使える技術ですし、なにより悩める人が自分のようになってほしくないですしね。

 

 

 

無条件の肯定的態度

30過ぎて情けない話ですが、親とのやりとり(まあそれに限らずですが)で本音を打ち明けることができたら、とりあえずそういう気持ちを把握してもらえたら、どれだけ楽だろうかといつも思う。

そうすれば毎度顔色を窺って嘘をつく必要はなくなる。嘘なんていうのはすぐにバレますし、印象も悪くする。ついた嘘が更に状況を悪くさせたことも少なくない。だけども、わかっていながらそうせざるを得ない。

相手にとっても、何より自分に対しての嘘であるわけだから2重に心苦しいものです。

無条件の肯定的態度があれば、そのようなことにならず、「安心感のある別の道や、やり方」を見つけることもできたであろう。安心感があれば自発的に行動も出来る。その人の本音の中に、ヒントはあるものでしょう。

しかし、「家族こそ、そういう態度を取るのに最も難しい相手の一つ」だとも思う。

だから自分自身も「とりあえず肯定」ができるように頑張っていきたいものですね。

話を聞いて、こういうことですか?とまとめて、相手の悩みや問題の出どころや自発的意思を引き出してあげる。これは自分が考えるコミュニケーションの最高の形である。

高校卒業間近のあの時

思い返すと小学生の頃から漠然と「自分は社会に出ても上手くやっていけないだろう」という不安があって、それは高校2年目くらいから一層大きくなっていった。

卒業間近になって、どうにもできない、言い出せない複雑な感情を抱えて周りには不貞腐れた態度を取ってたり、「親の実家の農業を継ぐ!」とか訳のわからないことを言ったりして教師や父に窘められたりしていた。

働くことが避けられない厄災として目前まで迫ってきて、どうしていいのかわからない。そんな感じだったように思う。

勉強がてんでダメだったので進学という選択肢は全く無かった。

 

それでも某大手企業に就職が決まった時には「ああ!なんだかんだ言ってもこれでニートにならずに済む!(当時何かと話題になっていたように思う)ここでコツコツ頑張っていけば安泰だろうし、自分はダメ人間なんかじゃない!」と心底安堵していたことも事実だ。

それがどうでしょう、1年ちょっとで挫折。結果コレですよ。

その後職業訓練に通ったり、何度か再就職したり、方々の支援施設を頼ったりしたけど、現在進行形で職無しですよ。

想像以上に働く、働き続けるということは自分には難しかった・・・。

 

 

花を描こう2

タンポポは比較的簡単な気がする。とりあえず花びらを放射状に描けば、それっぽく見える。梅の花にあった苦しみはない。

よくよく見ると葉っぱがでかい・・・?
それにしても一旦「描く」という視点で周りを見ると、あらゆるものが題材になりえる気がしてくる。表現したい気持ちはあっても、問題は実力がついてこないことだね。
 

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社会復帰するためには「焦り」よりも「安心感」

つくづく思うのはひきこもりが社会復帰するためには焦りからではなく、「安心感から」でないとダメだと思うのですよね。

新しい環境や人間関係に入っていくのに過去の経験から、不安や恐怖が大なり小なりあるでしょう。過去の経験はなにしろ重くのしかかる。そこを「それほど心配する必要はない」という実感を持てれば、すんなり働けるのではないかと。

焦りから、選ばなければ何でも理論で押し込んでしまうと10回でも20回でも辞めるを繰り返すのではなかろうか。

そんなくじ引きを繰り返す精神も体力も無いし、失敗経験が次への意欲と自信を大きく削いでしまう。

そんな風に考えつつも、結局当たりを引けるまで繰り返すしかないのだろうか

 

 

 

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