一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

ひきこもり脱出。その先には

その先には、何も無かった。

 

 

過去何度も書いてきたことだけど、今現在は最後に仕事を辞めてから8年程ひきこもっていたのを、重い腰を上げて去年の7月から就労継続支援A型の利用者として、住宅街にある小さな工場で働いている。週5日、8時間労働と、一般のそれと変わらないよ。

 

とりあえず働こう。どこかへ見学、応募しよう。採用されたらとにかく慣れなければ!と走り続けて、最近は仕事にも慣れてパターン化してきた。それでどうなったかというと「将来への不安と虚無感」だけが残った。多分今後もこんな調子が続くか、もっと困窮するかだと思うから、この辺で電源を切ってしまえたらなぁ。とそんな気持ちでいる。自分というものが、その可能性が、大体わかったので、もういいかなと。

 

金銭的な観点から言うと、一般と変わらない程の労働時間と負担なのに給料とはいうと、手取りにして14万前後だろうか。

毎週金曜日は通院先でデイケアに参加していて、当初社長の話では、「そんなに結論を焦らずとも、1、2年程度は様子を見て、考えていったらいい」と話していたのが、会社が忙しくなってきたからと、「社会人としてのけじめをつけよう!」とのことで、半年程度であれよあれよとフルタイムの労働になってしまった。

これでは支援A型で働くメリットが何もない。低賃金でこき使われているだけではないか。それとも自分の人材としての価値なんて、そんな程度なものなのだろうか。

であればさっさと転職なんだけど、当然気が重い・・・。

また仕事を探して、履歴書を書いて、面接をして、職場の環境、仕事、人間関係全部1からやり直しで、上手くいく保障なんてどこにもない。

なにより自分の悩みの大半が週5、8時間労働にあるのだから、どこへ行ったって同じことを繰り返すことが目に見えている。

今行動を起こしても、焦りと不安の中での選択になって、そういうときはロクなことにならないことは今回の一件でも明らかである。だから、今は耐えつつ、人に相談して良い流れが来るのを待つしかない。そう考えているのだけど、日々の忙しさと消耗で、それもできない難しさがある。だるい。無気力。労働によって自分が解体され、孤立化していく感じがある。

未来にねぇ、何か展望や根拠があればいいのよ。それなら今苦しくとも頑張れる。だけどもそんなもの一切持てない。ただ苦しく、孤独で、切ないだけ。耐えられないでしょ。

いやぁ、危ない。こういう時こそスマホ、ギャンブル、酒、薬などに依存するだろうし、変な団体とか、最近ニュースにある、弱者男性を狙ったビジネスとかに声を掛けられ、耳障りの言いことを言われたら、コロッと落ちるだろう。

自分にしても、もう家と職場の往復で消耗して、気の合う誰かと会うとか、何か楽しみを見つけるだとか、そういうことに割ける精神的余裕や感性がなくなって、会ってくれる人はいないし、何処かへ出かける場所もない。消費しかすることがなくなってしまった。

 

今の職場は支援A型事業所として設立したわけではなく、家族経営の工場にA型事業所を併設した、補助金目当てなのでは?と同僚の方と話している。

僅かな社員に対して、A型利用者が圧倒的多数である。支払う賃金は最低限でよく、賞与や昇給も必要ない。18年働いている人が、半年程度の自分とほとんど変わらない給料なのである。給料と同程度の補助金が国から入るから、安く使えて大変便利であろう。自分もその一人か。

 

更には3人いたベトナム人技能実習生に更に2人が追加された。

こういった安く使われる労働力に、我々は勝てるのだろうか・・・。

 

 

 

 

メダカを探そう

東山動物園の世界のメダカ館が好きだ。平日なら空いているから。

 

 

いつかは野生のメダカが見てみたいものだと思っていて、その生息場所は池や、川の流れのない場所と書いてあった。

近所に川があって、流れのない場所ならいくらでもあるのだけど、以前から探してみても見つかることはなかった。今日、散歩がてら探していると

 

おお!小さな魚がいた!これじゃないか!?

 

 

 

めちゃくちゃ大量にいる。果たして連中は念願のメダカなのだろうか。

労働幻想

母とその友人と三人で囲む夕食は、2年経っても慣れない。やっぱり嫌だし、変な緊張の中食事をするなんて憂鬱でしょう。「さっさとここを出ていければ!」と何度も思うけど、不安や日々の疲れで行動を起こせずにいる。そんな自分自身に対しての苛立ちもあると思う。

「一日中家にいるのなら、掃除をしてほしい」

それ自体の理屈はわかるし、ちょこちょこやっているけど、言い方はもう少しなんとかならないものか。好きで家にいるのではない。会社が休みなのだから仕方がないじゃないか。休みなのは俺のせいじゃない。行く当ても無いし、会ってくれる人もいない。部屋にいるしかないじゃないか。

もう無職のひきこもりではなく、フルタイムで働く労働者なのよ。社会に出ることを恐れ、8年間ひきこもっていたのをようやく重い腰を上げて、過酷な労働の世界に入ったものの、単にマイナスが0になっただけであった。あまりにも当たり前なことだったんだ。全てのひきこもりには、働けばこの苦しさが、生きづらさがなんとかなる。認めてもらえるという労働幻想なんか捨ててしまえ!と言いたい。就労支援になんかに通うとこういう空気があったりするけど、嘘だよそんなの。

しかし、それさえ頑張れなければ、一体自分に何の価値や意義があるというのだろうか。仕事は好きでもなんでもないし、フルタイムで働き続けるのは正直つらい。だけども休んでいても、自分の無価値を再認識させられるようで、虚しくつらく苦しい。

定光寺周辺へ

休みの日はだるくてしかたがない。特に今回のような長期休みだと鬱っぽくなってしまう。気分が悪く、体が重くて仕方がないけど、部屋にいても悪化しそうなので気分転換に定光寺周辺へ。

人気を離れて自然の中で過ごすのが良さそうだ。とはいえ猿投山には何度も行っているしなぁと、グーグルマップで調べて思い付きで来た。

 

 

 

 

 

 

 

峡谷の中にある駅で、周りはご覧の通り山しかない。コンビニ一つ無い。

 

 

 

下の川に下りられたら良さそうなんだけど、どうやら無理なようだ。

 

 

 

廃墟の・・・なんだろう、旅館?

 

 

 

よく調べもせずに来てしまったので、周辺に何があるのかよくわからない。

山の散歩道があったので入ってみた。

 

 

 

うん山です。というか道ですらないぞ・・・。

 

 

 

 

 

 

後で調べたのだけど駅の近くにある、東海自然歩道の方へ行くと良かったかもしれない。

 

 

 

やっぱりだるさがどうにもきつくて、この辺で読書をして帰宅。調子の悪い時には大人しくしているのが良いのだろうか・・・。

それにしてもなんだか人恋しい。人間関係が家と会社しかなく、会社の方は4、50代の人ばかりだから、世代の通じる話ができるはずもなく・・・。どちらも会話というよりは「応答」するのが精一杯である。

健康的な人間関係の欠乏が、鬱っぽくなる原因なんだろうか。Xとかで、一緒に東山動物園とか、名古屋港水族館、竹島水族館に行きませんか?30前半の方!みたいな募集をかけたら付き合ってくれる人の一人くらいは出てくるだろうか?混雑する場所も気の合う人となら、気にならないかもしれないなぁ。無理かなぁ。自分はどんなに金と時間があっても、人並み以下のことしかできそうにない。そんなことを考えていた。

 

 

 

ここ最近の話

新卒の時から週5の8時間+αで働くことに困難を感じ、それで何度も挫折してきた。

今回はもうそれは諦めて、負担を少なくしてとにかく継続することを優先しようと考え、今の就労継続支援A型の仕事を選んだのだけど、やっぱり不安と焦りの中での選択で、フルタイムを選んでしまって、当初は週4の6時間だったのが、あれよあれよと結局週5の8時間になってしまった。職場が少々遠い場所にあって、朝の5時起にも未だ順応できない。

やっぱりきついし、毎週金曜日のデイケアに参加できなくなったのも、人間関係や環境が家と職場の非常に閉塞した感じがあって、つらい。まあ、参加できたとしても今は疲れで負担に感じることが多いと思う。

とにかく今の仕事を続ける気があるのなら、仕事に支障を出さないようにしなければと、仕事優先で動いてきたせいか、時間が取れなかったり、物事に対する興味関心を失いつつある。きっと疲れと不安のせいなんだと思う。そうでしょ・・・。

社長や事務の人から「やつれてないか?」と心配されるし、実際体重は落ちている。妙に疲れやすいのはこのためか?

 

能動的に何かをするのは、どうもダメになってしまって、音楽を聴くくらいしか楽しめることがない。そこで最近はレコードばかり買っている。

 

10年以上前に買ったプレーヤーでその時から一度も針を交換していなかったのを、ようやく交換。パンツのゴム紐で代用していたベルトも新調。思えばこのアルバムは間違えて買ったCDが知るきっかけだった。

単に音楽を聴くだけなら、定額サービスなり、配信なり、YouTubeなり、CDをパソコンに取り込むなりした方が手軽で便利だろう。

しかし、アナログを侮ってはいけない!なかなかどうして、入門機のプレーヤーで再生しても豊かな低音が鳴り響く。

盤を掃除し、針も掃除し、出してしまって裏返してと、手間がかかる。手間がかかるからこそ、音楽に向き合う姿勢も変わってくるように思う。

便利で手軽だと、単に消化で終わってしまう。

 

ここ最近で一番の収穫は、フィッシュマンズを知ったことだった。

典型的な後追いで、宇宙日本世田谷のIN THE FLIGHTという曲の歌詞がきっかけだった。その後所謂世田谷3部作に進み、初期の作品も聴いてみようと、こちらはアナログ盤で買ってみた。

 

 

初期の作品を好きになれるか心配であったけど、そんなのは杞憂であった。こうして作風の変化を追っていると、末期は何があったんだ!という程の変化であったことがわかる。

「LONG SEASON」こういった曲を作れるバンドが日本にいたなんて、ちょっと衝撃的なことだったのでは。

空中キャンプ以降、なんだかアートの世界に入ったようで、大衆からは遠ざかったような印象を受ける。宇宙日本世田谷は完全に内的な世界観なんだろうか。

 

ともかく、今のレコードプレーヤーは狭い部屋の事情と相性が悪いので、これを買い取りに出して、サウンドバーガーを買えたら良いなというのが、小さな目標。

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