一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

課せられることに耐えられない

よくよく考えたら親は強いですよ。自分が苦痛に感じる全てを「皆そうだから」の一言で乗り越えているわけですから。

そんな出来る人、出来てしまう人に、できない悩みや苦しみを100万回訴えても、どんな小さな部分でさえ通じないのは当たり前のことである。いつまで経っても慣れないんだ。

もうそんなことはずっと前から分かっているのに何故話してしまうのか?家族以外の人間関係が無いことと、一人悩み続けることに耐えられなくなってきて「つい出てしまう」ことと、ひょっとしたら・・・という期待もあったのかもしれない。

終いにはそんな甘い考えをした自分自身を許せなくなる。何より自分に腹が立って仕方がない。「何故話したんだ!」と。

親にとっては0か1か。白か黒か。働いているかいないか。収入があるのか無いのか。である。

 

今自分が取り組むべきは就労なのか?断絶した人間関係を広げて認知の歪みを修正することなのか?居場所の一つでも見つけることなのか?何か出来る事を見つけるべきなのか?何が出来るのか?何なら抵抗がないのか?何もわからない。

思えば通院先のケースワーカーさんに「継続して通うから、そんな絡まった糸をほぐしていきたい。何から始めたらいいのか、何からできるのかを一緒に考えて欲しい」と訴えたこともあった。

だけど何度か話している内に、いまいち釈然としない返事に「迷惑ではないだろうか?返事に困るのではないだろうか?この話はやめた方がいい?終わらせた方がいい?」とそんな気がしてきて、かえって気を使うようで結局すぐに通うのをやめてしまった。

 

もう本当に周りは無関心か敵だらけで、どうにもできない気がして、要求ばかりで、そんな環境やできない自分を背負っていくことが息苦しくてしかたがない。

味方がいない。気軽に漏らせる人がいない。こんなに辛いことだとは若い時にはわからなかったね。

 

課せられることに耐えられない。

 

酒、ギャンブル、ネットゲーム、薬物、怪しい宗教。こういったものに溺れるとしたら、こういう時ではないだろうか。

とにかくこの「耐えがたさ」を紛らわせてくれるのであれば、なんでもいいのである。

 

 

 

 

悔しくてしかたがない

親と会うと、就活はどうするのか?将来どうするのか?親や金がいつまでもあると思うな!という話に終始して、「その就労こそが自分を苦しめるのだ」と訴えても、就労せずにどうする気だ?とくる。

そりゃあ、親の立場からすればそこにしか関心がいかないのもわかる。

だけど、自分の気持ちの問題が無視されるのは本当に悔しくてしょうがない。何か訴えても「自分だってそう」と。

まだ何の準備もできていない。社会が変わったわけでも、自分が変わったわけでもない。それなのに就労せよ!と要求されても無理な気しかしない。というか、実際無理だった。

でも、「準備期間なんてとっくに終わった!いつまで準備する気だ!」と。

就労支援、ひきこもり支援、ハロワーク。もう何度も行った。今思えば必死に訴えていたような気がする。無能な自分はどう生きればいいのか?

だけども誰も取り合ってくれなかった。何にもならなかった。「支援を謳っていながら」誰一人、ここなら安心して働けるかもしれないと紹介はしてくれなかった。

相談は相談以上には成りえない。虚しくてしょうがない。

どうして動き出せるのか!?頑張ろうなんて気持ちになれるのか!?

ただ、誰も関心なんて持ってくれなかったし、自分には何もできない、変えられないことを肌で学んだだけじゃないか・・・。

これがひきこもり沼だ!

こんな経験ばかりしていると、次第に劣等意識で凝り固まり、周りの人全てが自分に劣等感を植え付けるように感じたり、関心のない説教をする「敵」に思えてくる。むやみやたらに人を嫌うようになって、信用できなくなる。

これがひきこもり地獄だ!

わかっていながら止められない。まだこれが10代だったら可愛げや可能性もあったのかもしれないけど、30はきついよね・・・。そういうことなんじゃないかと思う。

だから皆にはたった一人でもいいから味方を見つけてほしいと願う。

 

仮に自分が上手く働けたら家族みんなは喜ぶだろう。だけどきっと悔しさと涙で視界が歪むに違いない。

なんで就労しかないんでしょうかね。別の道もあるかもしれないけど、手にできるかどうかは・・・。

 

それにしても話相手が家族しかいないのは相当問題だと思う。これでは気持ちが益々歪んでしまう。

 

社会人になってから友達を作るのは難しい

と、よく言われるけど、それより関係を長期的に維持していく方がずっと難しいと思いませんかね。

学校や職場がある内はいい。嫌でも会うから。だけどそれらを失うと割とあっさり疎遠になる。

だから関係を維持しようと思ったら、無理してでも会わないといけない。しかし、それはそれできつい。世の中人付き合い、人間関係の構築がどう足掻いても下手な人っているもんです。

「人は一人では生きていけない」

この「一人」をどう解釈するのかはわからないけど、そんな説教じみた話は放っておいて、現実問題「一人でどうやっていくのか?」という覚悟が必要かもしれないなぁ。

 

社会のスピードと精度についていけない

これまで働くということにぐちぐち言ってきたけど、ようするに「社会のスピードと精度についていけない」こういうことなんだと思う。要求についていけないと言い換えてもいいかもしれない。

半年経っても一年経っても、皆の後ろを息を切らしながらヨタヨタ走るイメージをずっと持っていた。

 

先日定年になった叔父の話を祖母から聞いた。

高校卒業から一貫して同じ会社で働き続けてきたけど、最初の頃に新人が通らされる「営業」に回されていたら、きっと自分の様になっただろうと。

営業には回されず、会社の配慮?で設計の仕事に就き、それが高校で学んだことが非常に役に立った。本当に運が良かったと言っていたとか。

叔父は周りから変人扱いされ、自分以外のあらゆることに関心が無さそうで、話しかけてもロクに返事をしない人なので、こんな話が出たこと自体が意外である。

妹も数か月前に転職し、今のWEBデザインの仕事が楽しくて仕方がないとキ〇ガイじみたことを語っているとか。(仕事が楽しい・・・?)

適材適所・・・もし自分にそんなきっかけが与えらえたならば、上手くやっていけるのだろうか。どんな風になるのだろうか。自分のことを認めてくれる人の一人でもできただろうか。

 

ひきこもり他人嫌い

表面上は冷静を装っているけれど、とにかく他人が嫌で仕方がない。人嫌いである。

何故なら誰を見ても自分が劣っていて何もできない、何の価値も、誰にも承認されない存在のように思えてくるから。そういうものを自分に想起させるから。直視させるから。極めて卑屈で理不尽な理由で他人も自分も嫌になる。

変えるためには行動や努力をすればいい。だけどそれさえ認めてくれる他人が必要不可欠なので、つまるところ自分を劣等感の檻から抜け出させてくれる他人が必要なんだと思う。

それはひきこもっていては一生得ることのできないものでしょう。

認めてくれる他人はいない。社会に居場所やそれを作ることもできない。それらがなければ、外に出ていく気力も持てない。ここにひきこもりの悪循環がある。

 

一度この環にはまり込むと、次第に不安、劣等感、無力、無意味感で人生を彩ってしまって、後は終わるのを待つだけになる。

だから、ひきこもりになんかならない方がいいよ。

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