一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

綺麗なものを描きたい

というわけで2枚。

 

f:id:evange-cr-c89e:20211205214500j:plain

片目が青い何とか族の青年。トルコ石のような透き通った綺麗な青は絵の具で出すのは無理な気がする・・・。

 

 

 

f:id:evange-cr-c89e:20211205214514j:plain

スンバ島の踊るマングローブ

曲がりくねった幹の立体感や、水の透明感に不満あり。

改めて考えると先人の巨匠は描画力が凄いのなんの。

家族の背後に「世間を見る」

恐れていた役員がついに回ってきたし、八日には若者サポートステーションとの求人の相談がある。またそのことで親があれこれ聞いてくるだろう。なんかもう一度に降りかかってきて、不安とストレスが酷い。

 

依然決定の根拠が無いし、採用されたとして上手くやっていけるのか、今の自分で働くことを継続できるのか、全く自信が無い。

そんな状況下で、親があれこれ期待していろいろ聞いてくるわけだ。その無神経さに辟易して本当に嫌になってくる。高校卒業間近のあの時と同じことを繰り返しているではないか。この呪いのようなものからいつ解放されるのだろうか。

仮に自立できたとしても、きっと「ああしてやったのに、こうしてやったのに」と自分を脅迫し、縛り付けるのではないかと確信している。

家族、息子、長男とかそういうもの全部捨ててしまいたい。何者でもない一個人になりたい。なんでそう思うのか。そこには自分を定義し、縛り付けるものしかないし、親や家族の背後に「世間を見る」からかもしれない。

 

就労支援よりひきこもり支援

通院先のでのケースワーカーさんとの相談とか、若者サポートステーションの面談の中で、A型作業所の話がちょこちょこ出た。雇用契約を結び、最低賃金を貰いつつ軽作業に勤しむと。

あれのひきこもり版があったらいいなぁと思う。これまで集まりに参加して悩みだったのが「金が無い」だった。何しろ通うのに交通費がかかるからね。

それをひきこもり作業所にすれば、同士と交流を図り、働く慣らしができて、金も稼げる。いいことづくめじゃないか。

 

更に障碍者雇用に対する「ひきこもり雇用」があればいいなぁと思う。

障碍者雇用は当事者の特性に合わせて働き方に注文を付け、カスタマイズできる。「ただひたすら嫌な事に耐え続けるのが仕事」という先入観がある身だと「おいおい、本当に大丈夫なのか・・・?」と心配になるようなことができてしまう。

それをひきこもりに応用して、作業所からひきこもり雇用へ繋げられれば、完璧じゃないか。

ひきこもっては罵詈雑言あびせられ、生活保護を取っては批判され、働いては無能!と厄介者扱いされる。これぐらいは許せよ!と。

何故やらない!?それは障碍者を働かせることは企業にとって得になるけど、ひきこもりは得にならないのだ。

正に価値なしと。本当救われませんわ・・・。

 

いいかい。世の言う社会との繋がりなんて、精々が学校や職場でしょう。その社会に適合できなければ行くところなんて、受け入れてくれるところなんて無いんだよ。

友達や家族がいる?よろしい。だけども鬱になったり、仕事を見つけられず何年もひきこもり続けてみなさいな。一発で崩壊するから。

そして居場所だった社会が政策や景気やウイルスであっけなく崩壊するのを見たでしょう。

誰がひきこもっても、抜け出せなくなってもおかしくないのである。

 

タッピング奏法

タン♪とかチャ♪とか心地よい音が好きです。いい曲を見つけたので一つ。

自分もタッピング奏法を練習しているので無関係ではない。

 

www.youtube.com

 

プロは軽やかな左手の動きが凄い。(自分の場合は右手)自分はいつまでたってもこれができない。もたつく、引っかかる、音を消してしまう・・・。

最初は曲だけ聴いていて、パーカッションやエレキ?っぽい音をどうやって出しているのかわからなかったけど、動画を見て判明。ボディを叩き、ハーモニクスで出していたのか!と。複数の指を使ってタタタ♪とリズミカルに鳴らすのが好き。他には2:04秒以降が聴き所で、素早いハーモニクスとメロディの組み合わせが素晴らしい。

ボディを叩き、弦を叩き、その間左手は正確な運指、乱れないリズムと、惚れ惚れすると同時に何年練習したらこうなれるのか戦慄する。

いつになったら「演奏」できるようになるのだろうか・・・。

ひきこもりからワーキングプアへ

最近ニュースを見ても「働けども、働けども、我が暮らし楽にならず」というような話が多い。

コメント欄も嘆きの話が多くて、そういう人が他方で人を攻撃しているのではないかと邪推してします。余裕のない弱者同士で争うのが世の常である。

さて、こんな状況下で何のスキルもない、長年ひきこもった自分が社会に出てもワーキングプアができあがるだけではないだろうか。

スキルがないことを自覚しているのなら、身に着ければいいのだけど、毎日練習してギター一つ、絵一つ満足にできない。学校生活を振り返っても何一つ達成できなかった。自分に能力が無いのはもう確定しているだろう。

頑張る、努力する。もうそれ自体が一つのスキルではないだろうか。努力することよりも、「努力してもこの自分では無駄」と言ってはならないことに生きづらさを感じる。

背後には常に努力が足りない。自己責任が控えているのだから。

 

どう想像力を働かせても暗い未来しか見えないのだけど、それを周りの連中は喜ぶわけですよ。就労支援のHPやパンフレットを見ても、働くことは希望のように書かれているし、当事者の話もそんな感じである。でも実態はどうか。ちゃんちゃらおかしいよね・・・。

当ブログではGoogle Analyticsを利用して、アクセス解析を行うためにcookieを使用しております。 Google Analyticsで集計したデータは、当ブログのアクセス解析や改良、改善のために使用させていただくものとします。 なお、cookieは個人を特定する情報を含まずに集計しております。 Googleによるデータの使用については、「ポリシーと規約」を参照してください。