一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

「そんなにきついのなら、労働時間を減らせばいいじゃん」が難しい理由

一番の理由は「金銭的な問題」だろう。

今の仕事は最低賃金、昇給無しで、どんなに頑張っても手取りにすると12、3万程度。頑張ってこんな程度である。転職しても自分程度では、それ程状況は変わらないだろう。

必死で切り詰めれば、一人暮らしはできなくはないかもしれないけど、結局生活と仕事と両方きつくて潰れてしまうだろう・・・。

 

次は「周囲の目や世間体」だろうか。

皆頑張っている。引き受けている。そんな中、自分だけ根を上げる、特別扱いはどうしても気が引けてしまう。例えば週4日にしたとして、空いた1日分の作業を誰かが負担することにも繋がってしまう。

確かに体力的な負担は軽減できるけど、精神的な安心感は得られないだろう。

社長、現場の人々、母や同居中の友人などに納得してもらえるような説明をしなければならず、これも結構苦しい。

一人暮らしは断念せざるを得ず、家の中にまで人間関係があるのが苦しい問題は残り続けるので、根本的な解決や自立にはならない。

これ程苦しんでいながら、普通から外れる。集団から孤立していく孤独感、寄る辺の無さで結局苦しむだろう。

 

どちらへも行けず、現状維持で日々消耗し続けるのが精一杯なのだ。

 

ちょっと心配だなぁ・・・

土日でもずっとだるさが続いて、普段は歩くのが好きで平気で2時間くらい歩き続けられるのが、近所の銀行へ20分歩くのもつらい。

上手く言えないのだけど体の疲れというよりは、「体が重い、なんとなく息苦しい、なんか頭がボーとする」ような。

凄く疲れやすくなったような気がして、体重が半年前まで60キロ前後だったのが、58キロに減っていた!食生活は変わっていないのに・・・。

鏡で顔を見ると、やっぱりやつれてきたような気が・・・。

この状態、まずいのだろうか。

 

最悪、労働時間を週4日にしてもらう手も無くはない。だけども50歳近い女性の人が二人もフルタイムで休まず働く中、働き盛りの自分が「体力的にきつくて・・・」とは、言えないよなぁ。

母や同居しているその友人にも、納得してもらえる説明をしなければならない。一人暮らしなら、そんな必要はないのに!

「自分たちだって夜勤とかきついのに、若いあんたが体力的にどうこうって、どうなの?」と、言われないまでもきっと疑われるだろう。

何度やっても「皆と同じ」や「普通」についていけない。

でもねぇ、それで根を上げているようでは、一人暮らしなどできるはずはなく、できたとしてもかなりきつい生活になるわけじゃない。ここを抜け出せない。

仕事をなんとか頑張って、その上家にまでも人間関係、社会があるのはやっぱきついんよ・・・。家に人間関係はいらんのよ!もう詰んでるんじゃないかなぁ。

 

面倒を楽しむ

音楽くらいしか楽しめることが無くなってしまった。

 

 

久しぶりにレコードプレーヤーを引っ張り出して、レコードを嗜む。

再生ひとつするのに、盤の埃を落とし、針も掃除して、針を落とす・・・ことが必要なんだけど、本機は再生停止が自動なもの。

何年か前にハードオフで中古100円で買った、レット・イット・ビーを聴く。傷んでいるのか音がビリビリするのだけど、不思議とそれさえ「味」だと感じる。

 

自分の問題に向き合うのはとても難しい

ここ最近の日記の傾向を見ていると、なんか鬱っぽくなってきたような感じがある。

月~金まで仕事を頑張る。会社に着いて、持ち場に着いて、仕事をしている時には何者でもない感じがある。瞬間的な自己解放というか。そのせいか、作業中はあまり疲れを感じない。「あれ?気のせいか?頑張れるのかな?であれば、頑張らないのは甘えだろうか・・・」なんて考えていると、家に着いたときにどっと疲れが出てくる。特に土日は本当にだるくて何もやる気がおきない。楽しくない。ノれない。

 

それでも十分な稼ぎがあって、一人暮らしを決行しても生活に困らないような感じなら、まだ救いはある。だけども最低賃金、昇給、賞与無し。どれだけ頑張っても手取りにすると12、3万・・・。

何の為に働くのか?金か?稼げてねーじゃん!

生活の為か?生活できねーじゃん!

全く無目的に、家も会社も毎日頑張り続けているのが現状なのである。時折ふっと風が吹くように、強烈な虚しさが襲ってきて耐えがたくなる。

仕事自体は問題はないし、人間関係も同様である。ただ、冬は凍えるほど寒くて、夏は灼熱地獄と臭すぎる人達が悩みではある。

 

昨日のデイケアへの参加や主治医の診察、ハローワークでの相談で感じたことだけど、人前に出たり、会話することさえ、億劫で、だるくて仕方がない。

自分が何に困っていて、何故生きづらくて、何をどう相談すればいいのか全くわからない。相談に来たはずなのに、時間と手間を取ってもらっているのに、なんだかよくわからないまま相談を進行させてしまって、なんだかよくわからないまま終わってしまう。何かを提案されても、どうにも納得できず、動くことが億劫でしかたがない。もう相談することが後ろめたくなってしまう。

 

自分の問題に向き合うのはとても難しい。向き合い難い。向き合うとそこにはとても高い壁がそびえ立っているような気がして、立ち向かわなければならなくて、目を背けてしまう。

これは一人では決してできない。相対化してくれる、第三の目で見てくれる他者なくしては、決してわからないことだとも感じる。

なのにそこから逆行するような態度ばかりとってしまう。苦しくてしかたがないのに、何故変化を拒むのか。

 

 

 

 

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