一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

最低限の努力

最近会う度に親から就労支援の成果について聞かれる。

何か朗報は?進展は?30までに就職できなかったら終わり。焦りはないのか?等々。

どうも親の語り口を聞いていると、親にとっては働くという事は特に苦痛でもなく、難しくもないことらしい。

実際それとなく訪ねてもそのようだし、故に「お前にも簡単に出来るはずだ」となるのだろう。

皆と同じように出来ないから、小学生時代から現在進行形で躓き続けているというのに、全く理解されない。まあ、実際にそばで見てきたわけではないので仕方がありませんが。

過去の失敗続きから来る不安、これから先何を、何処を目指していけばいいのかわからない焦燥。自分でもどうしたらいいのかわからんのですよ・・・。

 

話は変わり、以前月収十数万だけど日本終わってない?的な記事とか、40代でマック難民年収110万とかの記事がありまして、そこに寄せられたコメントが案の定自己責任の嵐。

個人に全く責任がないとは言いませんが、どうも世の中自己責任自己責任と人を追い込み過ぎるきらいがあるような気がしてならない。

しかし、そこはネット。聡明な方も何人かいて、前者には「収入がどうとかより、そんな低賃金で長時間働かせる事を必要とする社会の方がずっと問題だろう」とか後者には『世の中に報われない努力がある』
『努力不足による自己責任とは言えない』
『中高年の貧困者の多くは、職を失う恐怖があることから仕事に対してまじめな人が多い』
『有効な求人票はブラック企業ばかりなので、職場環境に耐えきれず、うつ病を発症したことで難民化するケースは数え切れません』

記事にあったこれらのことを「全くその通りだ」とし、運が良く、これまで特に問題が無かった人程、「自分は努力した気になって想像力を働かせない」と語る。

自分の身の回りを見ても、なんとなくそんな感じが確かにある・・・。

ただ、

「人(ボランティア)や公共(生活保護)に頼る、それは最低限の努力だよ」と締める。

(記事の人はボランティアを苦手だと断っていたそう)

いやはや、生活保護なんて単語を出そうものならバッシングの嵐になろうというのに珍しい。はっとさせられました。

 

こう語れる人がいるのをみると、月並みな表現ですが、世の中捨てたものではないと思えますし、生きる気力も貰える。

ネットの記事なんか見ていても、いつも嫌な気分になるだけなのに何故か見てしまう。

それはこういうものを求めているからかもしれない。

自分にとっての最低限の努力とは何だろう?何ができるのだろうか?

 

当ブログではGoogle Analyticsを利用して、アクセス解析を行うためにcookieを使用しております。 Google Analyticsで集計したデータは、当ブログのアクセス解析や改良、改善のために使用させていただくものとします。 なお、cookieは個人を特定する情報を含まずに集計しております。 Googleによるデータの使用については、「ポリシーと規約」を参照してください。