一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

引きこもり安全地帯

引きこもっていてつくづく思うのは、ここは「安全地帯」だということだ。

学生時代の時の様に学力や運動神経、コミュニケーション能力の優劣で虐めにあうこともないし、会社で仕事が思うように、言われたように出来ずに怒られ、信用を失い、長時間労働で苦しむことも無い。何とも理解に難しく、不快な事になってしまう他人も精々家族くらいなものである。劣等感も無い。最近だとコロナからもある程度身を守れる。

 

でも、同時に代償も大きと思う。まず真っ当な人間としては扱われない。基本欲しいものは買えないし、督促状が来て青ざめる。常に将来に対する不安が襲い掛かる。人に認められることや、自身を成長させてくれるような要素は・・・無くは無いけど、社会参加をしている人と比べるとやっぱり貧しいんじゃないかな。なんかこう「チャンス」がない。

社会的価値?を抜きにして語れば、どちらも一長一短であるし、寧ろ引きこもりに近い生活に生きがいを感じる人だっているでしょう。向き不向きもあるでしょう。例えば、最近よく目にする「自粛自粛って、ずっと家にいるのが辛い。気がおかしくなりそう」という書き込みがあって、自分的には「ずっと家にいる事の何がそんなに辛いのだろうか?人と顔を合わせ、何か会話をしなきゃいけなかったり、比べられたり、仕事にいかなきゃいけないことの方がずっと辛いよ」とはよく思う。

でも、大多数の意見、即ち正しいとなりがちなので、こんな感性は強みとしては認めてもらえないでしょう。

 

それにずっと安全地帯にいればいいのかと言われたら、やっぱりそういうわけにもいかなくて、いつかは荒波へ出ていかなくてはやっていけなくなるでしょう。

問題はその場所切っ掛けだなと。ちょっと外へ出かけると、アルバイト募集の張り紙はそこら中にあって、よく言われる「選ばなければできるだろ!」状態だし、とりあえず入る所までは自分でも考えている以上にすんなりいくんじゃないかと思う。まあ、続けられるのかはわからないけど。

仮に上手くいったとしても非正規雇用では先が知れているし、何かあっても自己責任で済まされてしまう。「わかっていたはずだ!」ってね。

じゃあ、もっと上を目指していかなければいけないんだけど、そんな競争に勝てるのか、ついていけるのか全くわからないし、これまであるゆる競争に勝てた試しがなかったので、自信がない。気力もない。

現在引きこもっている人の多くの人に大なり小なり似たような考えがあるんじゃないかと勝手に思っていて、抜け出すためには躓かない人、躓いてもすぐに起き上がれる人と比べてずっと課題が多いんじゃないかと思う。

対人関係とか、仕事の遂行能力とか体力、精神とか。過去の経験がこれらを自信よりもしっかり支え、現実的なものにしてしまっているので、安全地帯を抜け出すのは一層困難でしょう。一人で戦っていけるのか?抜け出す動機と能力に貧しい・・・あまりに無力!

「何でもいいから働かせればいい!やればなんとかなる!」って失敗に終わる確率が高い理由が、社会復帰の難しさが、こういう所にあるのではないかと。

一度の失敗が引きこもり地獄を更に強化するわけですし、そこに対するフォローは何も考えてはくれないでしょう。

 

「何故働かないのか?」

 

なかなか説明するのが難しい問いですが、もの凄く不安なのです。鼓動が速くなって、息が上がり、そこから逃げ出したくなるような・・・。

 

ニート、引きこもりの書き込みの場なんかをちょっと覗いてみると「お宅ら働くのは無理なんじゃないか・・・」と実際どうかはわからないけど、思う。どうしても思ってしまう。活き活き働いているところは想像できない。できてもカブトムシの成虫のように儚く散っていくことのように思う。というか散りました。

生きることと「働く、金を稼ぐこと」を切り離すことができたら・・・。

コロナ騒ぎで就労支援デイケアの再開がいつになるのか全くの未定なんだけど、なにか活路って、自分でも知らない所にあったりするものなんだろうか。

 

当ブログではGoogle Analyticsを利用して、アクセス解析を行うためにcookieを使用しております。 Google Analyticsで集計したデータは、当ブログのアクセス解析や改良、改善のために使用させていただくものとします。 なお、cookieは個人を特定する情報を含まずに集計しております。 Googleによるデータの使用については、「ポリシーと規約」を参照してください。