一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

これ見て悟れ!

親からメールがきた「〇〇の正社員募集」というURLだけが書かれたメールである。もはや文すら無い。

所謂「これ見て悟れ!」ということだけど、何回経験しても慣れることがない。見る度に動揺する。冷や汗が出る気持ちである。

思うにこういったことには自分が「働いているのか、いないのか」の一点にしか問題が無いかのようで、その深層に潜む、過去の体験から来る根強い抵抗感が全く考慮されていないんですね。

履歴書を書いたり面接を受ける、そして否定される「あの地獄」が考慮されていない。仮に今面接を受けに行ったとしても、まともに受け応え出来るのか全く自信がない。

更に入るのも大変だけど、それを続けていく大変さも考慮されていない。

なんかもう、適当に受ければその内何とかなるだろうとでも言いたげなんですね。(まあ、そういう強い人はいいんですが)

 

自分の身としても、何年も引きこもるような人は「行き着くべくして、行き着いた」と思うわけですよ。もうそういう素性なんだと。一般社会の「普通」は「普通の事が普通にできる人」が作り上げた社会なので、そこからこぼれ落ちる人が当然出てくる。こぼれ落ちた人の社会は現状無いのである。

世の当事者に何があったのかは存じませんが、一般社会に敗れ去り、自分が変わったわけでもなく、何の対策も無く、(内面的な意味で)支えてくれる人も無く、行くべき場所は「その一般社会」ですから、ただ「やれ!」なんて言ったって無理なんですよ。出来もしないことをやるから、引きこもり地獄を悪化させるのではないだろうか。

解決は無理にしても、本人にとって内面の問題は「親が死んだらどうするか?問題」と同等くらいの問題だと思うので、そこを相談したい、聞いて欲しい、ほぐしたいじゃないですか。

だけど、会う人全てに否定されるわけですよ。「支援機関なら!相談所なら!」という気持ちで門を叩き、結局「就労の話」しか出てこないところで絶望ここに極まり!肯定してくれる人は本当に一人もいないのではないだろうか。いたとしてもきっと気を使ってますよ。四面楚歌である。

体験した限り、世の引きこもり支援、就労支援も全くこの部分を欠いてるように思える。

 

よって、この問題を置き去りにしたまま、「なんとなく、とりあえず、このままではいけない」で仕事に就くわけですが、ほんの一握りの強運者を除き、すぐに辞めるのではないでしょうか。

そして、ほんの一握りの強運者が発言する権利を与えられ、それが普遍的な話になるのではないでしょうか。

上手くいった者は、そうでない者に対し、負い目を持つべきだ。

 

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