一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

ひきこもりと働くことと一人暮らしと

更に事態は悪くなった。今は県営住宅に一人でいるのだけど、家賃が高いのでそれを引き払い、中古の家に母とその友人と住むことが1月に決まった。

こんな気まずい話は嫌なので、一人暮らしまで持ち上げたいと最初に若者サポートステーションを頼った時から願っていたし、頑張りたかった。

何度かの面談で、これまでの挫折体験、知能検査の結果、障碍者雇用で考える、どうしたら安心して働けるのか?を考えた結果、そこにあったのは「何の資格もスキルも実績も無い自分には、労働力の価値は無い」という残酷な現実だった。

殆どA型作業所の仕事で時給1000円いくかいかないかで、一日4、5時間労働である。自分でも障碍者雇用を探してみたけど、驚くほど少ない。サポステの提案を蹴ってまで責任を持てるのかも自信が無い。

「甘えでしょう。それなら努力して上を目指すべきだ!」と声が聞こえてきそうだけど、この無能な自分で何ができるのか?何を目指すべきなのか?皆目わからない。

引っ越しの話や雇用の現実も堪えたけど、何より許せないのが「何もできない、何も変えられない自分自身」だ。

どうしてあらゆることが不安なのか?何をするにも悲観的なことばかり考えてしまうのか?自信や自己肯定感が持てないのか?

家族、息子、兄、そういう自分を引き受けるのが、そういう檻に自分を閉じ込めておくのが耐えられなくなってきたというのに、未だ親の影響下から抜け出せないし、このままだとずっとグチグチ言われ続けるだろう・・・。

時間が経てば、年老いた親と低賃金労働の息子というあのパターンになってしまう。それは何とも恐ろしい。

弟や妹は普通に自立しているのに何故自分だけは躓き続けるのだろうか。二人も内心自分を軽蔑しているのではないだろうか。弟はかつて説教してきたし。

二人だって特別優秀でない。だけど子供の頃から弟は「やればできる!」といろんな人から言われて、凄く嫌だった思いがある。自分には何もないし、できないってことじゃないか。実際弟は土壇場でアッと言わせるような結果を出すことがある。

妹もいい加減で何度も仕事を変えてきたけど、去年WEBデザインの仕事を目指して天職だ!と喜び、東京に出張を任されるまでになって、母と祖母が喜んでいた。

自分が無能で何もできないことは中学の3年間ですっかり固まってしまった。腐った土台に何を置いても腐るんだよ。

いつか人混みが嫌だと書いたね。周りにもそう言っている。煩さに耐えられなかったり、ごちゃごちゃした感じがストレスだから。

だけどもう一つ重大な理由があってそれは

周りが立派に見えることに耐えられない。自分が底辺であることを自覚させられるから。

実際はどうなのかわからないけど、家族連れとかを見ると立派だと思うし、それだけの能力や財力や魅力もあるってことじゃない。つらいこともあるだろうけど、引き受けられる。でも自分は逃げてばかりだ。親に世話になってはいつも小言を言われて厄介者扱いされている。

自分であることを引き受けるのがもうつらいんだよ。重荷を捨て去りたい。この段階で何の苦痛も無くおさらばできる安楽死みたいなのがあったら、迷わず手に取るだろう。

 

自分にとっては一人暮らしは精神的な自立でもある。家族という定義から離れて、新しい自分の定義を作り直すような。

だから実現したい。ここで親と同居する選択で妥協したら、もう一生立ち上がることはないような気がするし、立ち上がった勢いが持てたならその後もなんとかなるのでは?と希望的観測もある。

だけどどうすればいいのか。何ができるのか。何をすればいいのか。若者サポートステーションは人生設計を相談する場所じゃないよなぁ。

 

世の中には絶望や壮絶な体験、悲しい話を金に換えられる人たちがいるけど、自分にはそれも無い。はたから見たら「何やってんの?働けば?」の一言で終わってしまうような話である。

 

 

 

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