一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

若者サポートステーションの面談5回目

前回、職業訓練の試験に心折れ、サポステの担当者に本音を打ち明けてからの続き。

今日は今後をどうするのかを話し合った。何度も書いた通り、今すぐに就労は心理的に厳しいものがある。それよりも「対等な人間関係が欲しい」という部分を掘り下げたかったのだけど、こちらが3話すと、7しゃべり続けるような感じの人で、熱心な人だとは思うけど、傾聴には向いていない人のような・・・。今回もどこまで伝わったのかよくわからない。話している時間よりも聞いている時間の方が長い。

親も「70近そうな老人!?あーダメダメそんなの!爺はあかんでしょ!」なんていう始末・・・。

とりあえず、セミナーやボランティア活動に参加する中で、そういうものを見つけようという話になった。まあ、その辺ならできるかなと。

 

さて、集団生活は苦手というより嫌いに近いし、人間関係も皆で仲良くワイワイ・・・なんていうガラでもない。

では何故関係性を切望するのかと言えば、今の人間関係は家族かサポステの担当者くらいしかなく、「サポステや家での関係性ではダメな自分しか見えてこない」から。

最低限できることは手伝っているつもりだけど、「でも、働いてないよね。でも、稼いでないよね。でも、家に生活費入れてないよね」と常に控えていて、自分のことを全く肯定できない。何をしても「でも・・・」があって腐らせてしまう。実際それとなく言われることもある。

こんな状態では自信はがた落ちで、前を向く気力なんて生まれるはずがない。本当に何もできないような気がしてくる。

だから、「無職でもひきこもりでも無能でもない自分を見てくれる人」が欲しい。気が付かせてくれる人が必要だ。それが今後の「困難に耐えられる自分」を作っていくのではなかいと考えている。そう都合よく見つかるかはわからないけど。

 

一旦就職というコースから横道に逸れることを選択したのだけど、これさえ肯定できない。モヤモヤとしたものが残る。だって、誰も「それで良い」と言ってはくれないから。良いのか悪いのかの判断さえできない。

親に認めてもらえれば安心して進めることもできるだろうけど、きっと揉めるだろう。

担当者は「親の望むことは就労、自立なのだから、そんな承認は諦めて、自分の気をしっかり持ちなさい!」と言っていたし、専門書なんかでも出てくるけど、本当に自分で自分を承認して満足することなんてできるのだろうか?

判断する基準の大部分は他者に依存するのではないだろうか?上手い絵を描いたとしても、上手い演奏ができたとしても、誰かに「上手い!」と言ってもらえなければずっと不安で、わからないままなんじゃないか?

そういうテーマを掘り下げていきたかったのだけど、場違いだったか意味不明だったのか・・・。

 

ダメな自分ばかり見続けて、孤独で仕方がないから、誰か手を取ってほしい。そんなところが真実かもしれない。

 

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