一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

ある日突然辞めちゃうんですよ。なんででしょうかね?

今日は通院先でデイケアの日。一応就労支援のデイケアである。男4人の小規模なもの。

ああいう場所に身を置いていると、特に役立つとか成長するだとかはないんだけど、見識は広がると思う。一般社会ではほとんど日の目を見ない人達と接するわけだから考えることが多い。見えるものだけを見て、わかった気になってそれを常識だ!としてしまうのは、危険な気がする。まあ、自分一人に何ができるわけでもないですが。

 

それで講義というか、意見交換というかそんな感じで進んでいて、今日は働く不安についての意見が出てきた。努力、速度、成果を求められるのが苦しい。長時間労働が苦しい。初めは大丈夫だけど、後々になると息切れしてきてしまうなど。

否定し難い事実ではあるけど、働くということを人の役に立つことや、経済的な観点からのみ論じてしまうと、必然的についていけない、落ちこぼれる人が発生するのだと、ああいう場所にいると痛感する。本当に能力、境遇、抱えている問題は人それぞれであって、誰もが努力し結果を出せるわけでも、人の役に立てるわけでもない。でも世間一般には「誰もができる普通のこと」とされ、切なくなってくる。そこに圧殺される人も少なくない・・・?

 

そのデイケアの中で、担当者が障がい者を採用する社長から伺った話があって、「皆真面目でやる気があるのに、ある日突然辞めちゃうんですよ。なんででしょうかね?謎です」と。

それはもう本人に訊くしかないことだと思う。そういう話をしていい空気を作るしか、とりあえず受け止める姿勢や覚悟を持つしかないことだと思う。何しろ去る理由なんて十人十色なのだから。ある人にとって大丈夫なことやできることが、ある人にとってはそうではないのだから。

だけども難しいよね。入った以上は労働者であり、仕事を引き受ける代わりに対価を得るのがルールじゃない。雇う側の事情も当然あるし、あまりああせよこうせよとはとても言えないし、言ってはいけない空気も感じられる。

常に向上心を持って結果を出せる。社会的に価値のある、生産性のある人間しか生きてはいけないのだろうか。

少し降りるというか、緩めて生きていくこともできなくはないのだろうけど、常に経済的な困窮が付きまとう・・・。それを自己責任という・・・。

 

 

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