一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

ひきこもりの考える不安って?

ひきこもって、労働という社会参加をしていないことによるつらさとは?という話題になると、自分の周りだと「将来の不安」になる。

個人的には将来なんていう漠然とした不安より、もっと身近な家族観関係、というより「お前が原因、お前が悪いんじゃん。もしくは就労問題としてしか扱われない」ことの方がずっとつらくて嫌になる。

集まりの場で家族関係の話がほとんど出ないのは、個人的な事柄だからだろうか?長年無職をやっていて、家族仲が良好だとはちょっと想像できないのだが・・・。ただ、少なからず良好な人もいるようだ。本人談だから実態はわからないけど。

 

人それぞれ事情や境遇、能力の差ってあるわけじゃない。それが現実的な問題の前だと、それが各々の事情や抱えている問題を飲み込んでしまって、前述の話に考えがいかないのはとても切ないことだろう。人によってどこに焦点を合わせるのかだと思う。その人個人なのか、社会的な問題としてなのか。まずは個人を見ていかないと安定した自立や社会復帰など望めないのでは。

 

家族との会話や関係がつらい。といって飛び出す勢いや能力も無い。同じ目線で会話ができる、関係できる人を切望するのはこういう所にあるのだと思う。

そういう仲ができて、ようやく自分の一部分が安定してくるような。

 

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